2016年4月25日月曜日

中世の音


東京芸大には全科に「古美術研究旅行(コビケン)」という授業があって、奈良の研修施設に2週間泊まり込んで関西のお寺をめぐる。美術史を専門とする学生の多い芸術学科では、コビケンはとりわけ重要な授業である。この旅行に参加したくて芸大を志願したという人もいるほどで、またこの旅行をきっかけに日本の古美術を研究対象にえらぶ人も少なくない。
 すいどーばたの芸術学科では、年に2回の校外授業を実施している。ここ数年は、秋に鎌倉へ行くことが多かった。日帰りの小旅行だが、ミニ・コビケンみたいなイメージである。鎌倉は、いうまでもなく関東では古いお寺の多いところである。私自身も大学院で仏教芸術を専攻していたので、鎌倉は好きな場所のひとつだ。だから仕事以外でも時々出かける。今日はそのときのことを書いてみる。
 4月8日、八重と一重の桜が咲き競う鎌倉・極楽寺は花祭りでにぎわっていた。お釈迦さまの誕生日である。イエスさまの誕生日(クリスマス)は盛大にお祝いするが、お釈迦さまの誕生日はそもそも知らないという人も多いだろう。もっとも、歴史上実在の人物としての釈尊(ゴータマ・シッダールタ)の生年月日は正確にはわかっておらず、日本をはじめとする大乗仏教諸国と、タイなどの上座部仏教諸国ではお祝いの日がちがうそうだ。なおキリスト教でもイエスの誕生日は不明であり、クリスマスは冬至のお祭りに起源を発する行事であるとされる。
 それはとにかく、生まれたばかりの釈迦の姿をあらわした小さなお像に甘茶を注いでお参りした後、本堂の脇にある収蔵庫で、ふだんは公開されていない釈迦像に手をあわせる。「生身の釈迦」とよばれる京都・清凉寺の釈迦像を手本に、鎌倉時代に制作されたもの。全国に清凉寺式の釈迦像は数多いが、なかでもすずしげな切れ長の眼をした本作は、作家の永井路子氏が愛したことでも知られている。
 さて仏教ではあらゆる仏のなかで釈迦が一番偉いのかというと、一概にそうともいえず、宗派によって異なる。ここ極楽寺は真言律宗のお寺だ。真言律宗というのは鎌倉時代に形成された教団で、当時の流行であった念仏や禅などの新しい仏教に対して、釈迦が唱えた本来の教えに立ち返ることを旨とし、さまざまな社会事業をおこなった。〔日本史選択者には基本レベルの知識。世界史選択の諸君は、ヨーロッパの宗教改革と対抗宗教改革の関係を思い出していただきたい。〕
 真言律宗の開祖は奈良・西大寺の叡尊(えいそん、1201-1290)であり、その一番弟子で、関東で布教をしたのが忍性(にんしょう、1217-1303)である。忍性が住んだ極楽寺は、「首都」鎌倉における教団の拠点であった。本堂の裏山には忍性のお墓があって、ここも4月8日だけ一般のお参りができる。50段あまりの石段をのぼって、高さ4mを超える堂々たる石の五輪塔を拝する。圧倒的に大きい。五輪塔というのは、下から順に地・水・火・風・空をあらわす五つの部材を積み重ねた塔のことで、下から二段目の「水」は球形を基本とするが、ここのは上の三段の重みを受けとめるように少し扁平な形をしている。はちきれんばかりの水風船のようにたっぷりとしていて、石の硬さ、重さを感じさせない。これだけ大きな石は切り出して加工して積み重ねるだけでもたいへんだろうが、各部の調和を保って一個の作品としてまとめあげる工人の技術に驚く。
 見とれているとお坊さんたちが四、五人やってきて、墓前で読経が始まった。大勢の参拝者がみんな手を合わせる。読経の声と、時折鳴らされる鉦の音、三方をとりかこむ林の若葉が風にそよぐ音、うぐいすの声————。中世のままの音風景が周囲を満たす。やがて読経が終わり、散華——。そのとき上空を飛行機の轟音がかすめ、一気に現代に引き戻された気がした。そのあと江ノ島で魚をたべ、少しお酒を飲んで帰った。
(宗)

2016年4月10日日曜日

はじめに若干の所感


 410日、1学期最初の授業日の朝、池袋駅でリクルートスーツの若い人たちが大勢集まっているのを見た。入社式か、新人研修かであろう。私もまだまだ若いつもりでいるが、あの中に混じったらさすがにちょっと浮くだろうな……と考えた。
 私は昭和の終わり近くの生まれで、塾・予備校業界でも研究の世界でもまだまだ若造にすぎない。この業界に限ったことではない。たぶん30過ぎでおじいちゃん扱いされる業界は野球界と相撲界くらいであろう。日本社会では30代はまだ子どもに毛が生えた程度の年齢でしかない。……と思っていたが、お笑いの森三中の人が男装して主演をやっている映画のキャッチコピーに「32才の中年男!」と書いてあるのを見て、暗澹たる気持ちになったことがある。この映画が出たころ、32才は中年じゃねーだろー、と憤慨したものだが、ネット上のレビューなどを見てもこの点に突っ込んでいる人がほとんどいないのははなはだ不審である。実にけしからんことである。まあそんなことはどうでもよくて、現役や1・2浪の受験生の皆さんからみたら、私でもまぎれもなくおじさんなのだろう。芸大には社会人入試の制度がないので、けっこう実社会で経験を積んだ人が現役生に混じって入学してくることがある。数年前に、さる有名国立大学の教授がご退官後に芸大の学部入試を受け、見事合格されたことは新聞でも報道された。私たちの予備校にも、相当の社会経験を積まれた方が相談に見えられることもある。それについては何も申し上げることはない。日本語には、目上の人をほめるための適切な語彙がない。「立派だ」「えらい」全部上からの物言いになってしまう。これは、ほめるにせよけなすにせよ、目上の人を「評する」ということ自体が不遜であると考えられてきたからだと思う。だから私などは、たんなる受験屋として、勉強のノウハウをお伝えするだけが精一杯なのだ。これは相手が若い学生さんであっても同じことで、30年やそこら生きただけの私が、乏しい人生経験をもとに経験則的なアドバイスをしたところで、あまり役に立つとは思えない。それでも、私は若い方たちに、「今の時間を大切にしてください。気を抜くとあっというまに私のようなおじさんになるよ」ということを本当にお伝えしたい。学問や研究の世界でも、年齢を重ねるにつれてチャレンジの可能な幅はどんどん狭くなる。体力的にも無理がきかなくなる。だから今のんびりしている暇はない。これは多分に自戒も含んでいるのだが、ちょっとくらい無理をしてもなんということはない。この一年、ちょっと無理してみようではないか。案外いけるのではなかろうか。
(宗)

2016年3月27日日曜日

来たれ、未来の学者、芸術家

今日は春期講習会。今年度は作品記述について講義をしました。



Leica M5, Summicron 50mm f2.8, Kodak Tri-X400



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2016年3月26日土曜日

東京は、春

明日は春期講習会。宗藤先生は準備に追われています。


Leica M5, Summicron 50mm f2.8, Kodak Tri-X400




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